北海道はこれからが最高の季節です!コロナウイルスを気にしないで、北海道を自由に走れる日が、早く来ますように!

北海道函館ツーリング絶景【城岱(高原牧場)スカイライン】

北海道ツーリングブログ【函館紀行~時空を超えて】その1

始めに、函館の【城岱(しろたい)スカイライン】ルートの紹介にかこつけて、
函館の今は亡き古い友の備忘録みたいなものをブログに書いてみたくなりました。

ごく私的なことで大変恐縮ですが、お付き合い願えれば幸いです。

 

【年賀状】

2015年・正月
友から来た年賀状にはこう書いてあった。

『来年は小生九十才、それ迄どうかな!』

私は年賀状を出さなかった。

カブで函館ツーリング・友を訪ねて

 

その年の5月25日の朝、快晴だが私は迷っていた。
すでに午前8時を廻っていて、今から出ても到着は夕方だ。

北海道の5月はまだまだ暖かいとは言えない、
明日に延ばそうか?

明日の予報には雨マークがある。

行くなら今日だ。とりあえず、出発準備!

函館は札幌から、最短で約250km。

90ccの、しかも郵便カブで行くには強行軍である。。
って、そうでもないかな?

当時の愛車、HONDA MD90 郵政カブ

気が変わったら途中で戻ってもいいや。。
戻るなら喜茂別が限界。なんて思いながら出発。

すでに9時を回ってる。お金を下ろさなきゃ・・
銀行が混んでる。。25日!

もう9時半だ、残金450円余りのまま街を出た。

定山渓を抜けて中山峠の道の駅に着く頃には、
気分上々爽快MAX! 
函館まで行く気満々☆

ターニングポイントの喜茂別を過ぎ、
ルスツリゾートのセブンでお金を下ろし、
セコマで昼食。

セイコーマートの『温めますか?』は注意が必要?

『セコマ』とは北海道が誇るコンビニ『セイコーマート』

北海道をツーリングしてたら、とっても頼りになるコンビニです。

セコマで『温めますか?』と聞かれて『はい』と答えると、
とんでも無いことになるのを知ってるでしょうか?

過去に何度か苦い経験をしてるので『温めますか?』
と聞かれたら『軽くお願いします』と答えることにしている。

しかし、先日の小樽のセイコマで焼きそばを買った時、
不用意にも『はい』と答えてしまった。

あっ!と思ったがあとの祭りだ。チンまでが長い。。
案の定、持てないくらい焼きそばが熱い!熱いっ!

最初の経験は、お昼に買ったおにぎりで。
チンしてもらったら、持てないどころか、熱くて食べれなかった。

そういう経験を何度かしたのだが、
皆さんはそんな経験は無いのだろうか?

そうしたことは他の店舗でも同じなので、
マニュアルの設定が間違っているのではないだろうか?

もっとも、レンジの時間まで細かく
マニュアル化されてるのかどうかは、疑問ではあるが。。

皆さんもセコマで『温めますか?』と聞かれたら
『軽くお願いします』と答えて下さい。

でも、私はセコマのファンです!

口当たりが何とも言えない北海道豊富牛乳を使用した
120円のソフトクリームと、最近ではクリームたっぷり、
コスパ最高の118円のロールケーキがお気に入りです。

焼酎は長次郎、ホットシェフのカツ丼!大好きなのだ。

 

【函館紀行~時空を超えて】その2

 

昭和49年夏、18歳の私は進級制作のため、函館の朝市に通っていた。

将来、プロカメラマンに成るべく東京写真専門学院に入学したのだ。

函館に実家があったので、
夏休みや冬休みごとに帰郷して函館の街を撮影していた。

函館朝市は市民の台所だった?

 

函館朝市は現在とは違っていて、
観光客相手ではなく地元の人で賑わう場所だった。
多少は観光客もいたが。

当時の函館朝市はこの場所がメインだった。出店の準備をしてるところ。

大きい体育館のようなだだっ広い体育館のような所に、
1坪ほどのスペースの店が所狭しと並んでいた。

靴下屋のおばちゃんの店。

店と言っても地面に商品を並べてるような、
今で言えばフリーマーケットのような感じである。

野菜を売ってる農家のおばちゃん達、
玉子を売ってる夫婦、靴下屋の体格の良いおばちゃん、
博学でお喋り上手な端切れ屋のおじさん、

金物屋、花屋、鯛焼き屋、生活雑貨など数えたことはないが
100件近くもあったのではないか?

もちろんカニやイカ、鮭などの鮮魚類も売ってはいたが、
現在ほど大きくなく、場所がちょっと違っていた。

野菜を売ってるおばちゃん達の決まり文句は
『買ってぇ、買ってぇ』である。

農家のおばちゃん、仲良し三人組。野菜を沢山もらった。

何回も撮影に行ってれば顔見知りになり、
撮影よりも世間話をしてる方が長くなることもしばしば。

帰りには野菜やジャガイモ、玉子、長芋、玉ねぎなどで
カメラバッグが溢れていた。

おかげで、撮影できなくなることもしばしば。

撮った写真を持っていくと、お礼にくれるのである。
今思うに、もっと大きなカメラバッグを持って行けば良かった。。(笑

仲良くなったのは農家のおばちゃん三人組
靴下屋のおばちゃん、玉子屋の夫婦、

玉子屋の夫婦。玉子は今よりはるかに高い。

 

そして、年賀状をくれた端切れ屋のおじさん。

端切れ屋のおじさん。博学でトークが上手で、ずっと話を聞いていた。

特に玉子屋の夫婦には、良くしてもらった。

その夫婦は間もなく函館朝市から
函館のはずれ、桔梗町の市場に移ってしまうのだが。。

その後も付き合いは続き、
千葉県の寮までダンボールケースで40個入りの玉子を
送ってくれたくれたことがあった。

流石にビックリしたが、その玉子をどうしたかは全く覚えてない。

何せ、寮だから冷蔵庫も無いし調理もできない。
食事の時に生で食べるくらいしか出来なかったはずである。

当時の写真を見ると、玉子1個23円、1ケース250円の値札が写っている。

40年前の方が玉子は高かったのだ。

そして、新鮮な玉子は常温でも一ヶ月保つ
と教えてくれたのも玉子屋のおじさんである。

 

実は私は知人を訪ねたりするのが苦手である。

会いたくない訳ではないが、いや、むしろ会いたいと思っていたりするのだが、
訪ねて行くのがなぜか苦手なのである。

その人の家の前を通ったとしても、スルーするのである。

電話も実は苦手だったりするから、どうしようもない。
そんなものだから、玉子屋の夫婦を訪ねるのも20数年ぶりになってしまった。

当時は函館に実家があって、何回も帰郷してるのにである。

20数年ぶりで玉子屋の夫婦に会った時の写真。

訪ねてから数年後、玉子屋のおじさんは病気で亡くなってしまった。

 

2010年、森町のおにうし公園が桜で満開の頃、
線香を上げに玉子屋のおばちゃん家に寄った。

思えば、あの時久しぶりに会えて、
そして夫婦の写真を撮らせてもらって本当に良かった。

その時の思いがあるから、無性に函館に行きたかった。

 

再会のためのツーリング

 

 

端切れ屋のおじさんが来年には90才になるという。。
いつ会えなくなってもおかしくない年頃である。

すでに私の親父もお袋も亡くなっていて、10年以上も前に実家は無い。
函館に行く理由が全く無くなってしまっていた。

 

羊蹄山はもちろん、ニセコ連峰もくっきり望む中山峠を快適に下り、
双子羊蹄と言われる尻別岳の麓、名物みそ饅頭がある留寿都村を抜けて
洞爺湖の手前から太平洋側の小さな漁村である豊浦町へ降りた。
イチゴと豚が名産で、6月には『イチゴ豚肉祭り』が開かれる。

30年ほど前は、帆立が名産で祭りの名前も『イチゴホタテ祭り』であったが、
噴火湾のホタテが毒性を持ち、取れなくなって豚肉に変わったという話は余談である。

中山峠から羊蹄山とニセコ連峰を望む。

それにしても、いつもなら普通であるはずの八重桜が満開の光景にちょっと驚き、
少し走るとその訳が分かったような気がした。

寒いのである。。と、言っても13~4度であるが、
海から冷気が漂って来るようだ。

 

長万部駅前のあの『まんべくん』の顔出し看板を横目に、
町外れのセコマで最近のお気に入り、クリームたっぷりの
ロールケーキを食べて元気100倍!!

決して、セイコーマートから宣伝料をもらってる訳ではないが。。。

 

しかし、それにしても寒い!

Gパンの上にズボン、ウインドブレーカー2枚、
首にはタオルを巻きつけ、さらに上下真っ青のカッパを着た。

持ってきたもの全てを身につけて走り始めたがそれでも寒い。。

快晴なのに。。。

国道5号線、七飯町の赤松並木。赤松は北海道には珍しい。

森町からは少し内陸に入るので寒さも和らいだ。

七飯町の赤松街道はやはり風情があっていいなぁ!
鳴川辺りが幹が太い松が多く、特に美しい。

国道5号線を通って函館に入るのは久しぶりだ。

車で道なりに来ると函館新道から入るので、
わざわざ渋滞する国道は滅多に通らなくなっていた。

しかし、無料とはいえ新道は自動車専用道である。
90ccのバイクは通行できない。

新道のおかげで交通量が大幅に減ったのか、
赤松が以前より幹がしっかりして元気になってるように見えた。

いよいよ待望の函館である。

【函館紀行~時空を超えて】その3

唐突ですが皆さんは知っているでしょうか、

函館山という名称の山が存在しないことを!!

えっ!普通に函館山じゃないの?

この衝撃の事実を私も知らなかった。
函館に実家があったにもかかわらず・・・

-函館山とは、

  1. 展望台のある御殿山(334m)をはじめとして
  2. 薬師山(252m)
  3. つつじ山(306m)
  4. 汐見山(206m)
  5. 八幡山(295m)
  6. 水元山(280m)
  7. 鞍掛山(113m)
  8. 地蔵山(286m)
  9. 入江山(291m)
  10. エゾダテ山(129m)
  11. 観音山(265m)
  12. 牛の背山(288m)
  13. 千畳敷(250m)

といった13の山々の総称である。
wikipediaより

昔は wikipedia なんて無かったしなぁ。。

懐かしの函館・到着!

 

私が初めて函館に住んだのは、昭和46年の10月である。
父の転勤で倶知安高校から函館北高校に転校したのだ。

家族は6月には引越ししていたが、私は編入試験が10月だったので、
それまで倶知安で下宿していた。

 

その頃はまだ合併前で、
引越し先の五稜郭公園の裏は函館市ではなく亀田町だった。

亀田郡亀田町字本町15・・たしかそんな住所だった。

引越してすぐに亀田市になり、その2年後函館市に編入合併した。

 

いよいよ再会の時

 

目的の豊川ビルは路面電車の谷地頭と函館ドッグ方面への
分岐点である十字街、あの金森倉庫群の近くに建っていた。

夕方の4時!予定通り到着だ。

金森倉庫といえば映画、高倉健さんの『居酒屋 兆治』を思い出す。

主に函館と札幌のロケで、ススキノでのロケは偶然2回見た。
残念ながら健さんはいなかったが、大原麗子は見れた。


同じ映画を映画館で3回観たのは、『居酒屋 兆治』が初めてだった。
函館が舞台だったのと、札幌でロケを目撃したからかもしれない。

 

バイクを豊川ビルの裏の駐車場の傍に置き、
ビルの入り口を探したが分からない。

入り口らしいものはたくさんあるのだが、
どれも居住スペースの入り口ではない。

結局ほぼビルを一周したところにあった。

 

年賀状に電話番号は書かれてなく、連絡はしてない。

89才の老人なら、出かけるとしても病院くらいのもので、
夕方なら必ず居るはず。。ただ、そんな考えでバイクを走らせたのだ。

 

大体において私は気まぐれで優柔不断である。

今回の函館ツーリングもその日の朝、起きてから決めたのだ。

 

503号室。。郵便受けには名前が二人分書いてある。

息子と住んでる?

と、また病気が出そうになった。。尋ねるのをやめようか?・・・
いや、ここまで来て、やめる訳にはいかない。。

その時、エレベーターのドアが開き、女の子が降りてきた。

郵便受けの写真を撮ってる怪しい人物。。
そう思われないように開いたエレベーターに滑り込んだ。

 

エレベーターを5階で降り、インターホンを押した。

応答はなく、これ幸い?と帰ろうとした時にドアは開いた。

 

赤いチャンチャンコを羽織り、
かろうじて毛が残る白髪頭の老人は眼鏡越しに・・誰?と目が語ってる。

思ったよりしっかりしてる!

『札幌の伊藤です』

時空を超えた再会!

 

その語り口調は健在だった。

数十年間、函館の朝市に来るマダム?相手に口先八丁で
端切れを売ってきた口調は、相変わらず軽快でこぎみ良い。

ジョークも当時のままだ。

【端切れ】とは着物などを裁った,残りの布。
一着分にみたない小さな布。きれはし。

 

大正15年1月16日生まれ。。満89才。

『市役所で女子職員が何年生まれですか?』って
聞くから、15年だと言ってやった。

そうしたら、『昭和15年にしては若いですね!』
なんて言いやがるから、ばかやろ、こちとら大正15年生まれだ、
と言ってやったんだ、驚いていたさ、わははは!

だって何年?と聞くからただ15年と答えたんだ、
まだ大正生まれだって生きてるんだ』

 

『俺は酒は呑まないし、博打もやらない、女は一度でコリゴリ。
唯一タバコだけだが、こんなに生きるとは思わなかったよ』

最近のドローンの問題で、
『これからは戦争の形が変わるよ。ドローンが武器になる』

 

そう言えば、あの朝市で話してくれたことは、
女性に関して、社会政治関係の事などもよく話題になってた。

 

変わってないなぁ・・ぜんぜんボケてもいない。
耳もある程度聞こえてるようだ。。懐かしいなぁ。

 

『このマンションは東京にいる息子が買ってくれたんだ!』
どうやら、一人暮らしのようだ。

 

40年も眠っていた記憶が時空を超えて私の頭に蘇った。

 

もしかしたら、40年前のあの時、
かけがえの無い経験をしてたのかもしれないな。。

私は人生をこの人から教わったのかもしれない。

逢いに来て良かった。

当時48歳くらいのおじさんと89歳のおじさん、時空を超えた!

帰りしなに、自治会の集まりでもらったというアサヒスーパードライの
350缶を1本もらって、
浴場の雰囲気が大好きな谷地頭温泉へとバイクを走らせた。

再開を約束して見送ってくれた。

後日、手紙が届いた。

無事帰宅なされ何よりです。

若き友遠方より来る亦楽しからずや
の心境です、よくだづねてくださいました。

中略

その節は缶ビール一本にて申し訳なし。
追加にビール券同封お受取り下さい。

取急ぎ右迄  松本光司

達筆である。

しかし、私は衝撃の事実を知ることになる。。じゃじゃじゃじゃ〜ん!
って、テレビのなんとかスペシャルか!?

 

【函館紀行~時空を超えて】その4 

 

衝撃の真実とは?

 

衝撃の事実があった。

端切れ屋のおじさんの名前は『松本光司』
郵便受けにあった二人の名前、もう一つは『辰雄』

「息子さんと暮らしてるんですか?」

「いや、光司はペンネームだ!」

『ペンネーム?』

この40年間、知らなかった・・ガ~ン!

松本光司は月に1500枚ほど半紙を消費する書家であった。

そんな話は聞いたこともない。
知り合った時、40年以上前から松本光司だったはず。。

という訳で、元気なうちの再訪を約束して十字街を後にした。

しかし、再会を果たせず、二年後の12月30日、
美人の看護師に囲まれて永眠した、と息子さんよりハガキが届いた。

宗教的儀式は一切禁止、肉体は北大に献体したとの報告。
おじさんらしい、最期、美人看護師に囲まれて92歳目前の大往生でした。

入院中のおじさんの生活が偲ばれます。

最期の年賀状。

 

今回の目的達成!?

今回の旅の目的の

  • 第1は朝市の友に逢うこと。
  • 次に谷地頭温泉に入る。
  • 第3にネットカフェデビュー。

 

函館山の麓にある市営の谷地頭温泉
ナトリウム塩化物泉で、色は茶色く濁っている。

何となく湯舟の底に泥が溜まっている様な気さえするほど濃い。
実際溜まっている。

浴場は天井が高く、大きくて面積の広い窓からの
陽射しが湯気を強調している。

コーン!と桶の音が響く。。筒井康隆の小説の一場面を連想する、
その雰囲気が大好きなのだ。

 

谷地頭温泉は市営なので、入浴料銭湯なみ。

浴槽は中央に高温、中温、低温の3つがある。

いつもなら、高温風呂に入ってる人はほとんど見かけない。

稀に入ってる人を見かけたら、湯舟を掻き混ぜたい衝動にかられる。。
なぜなら、腕を入れただけでも10秒も我慢出来ない位の熱さだ。

来る度にチャレンジして、1度だけ入ることができた。
もちろん微動だに出来ない。

今回もチャレンジ!!

しかし、ここでもうひとつ衝撃の事実が。。。

入れるのだ、普通に入れるほどぬるい。。

以前は45度以上あった湯温が43.5度に下がっていた。

湯をかき混ぜても全然平気だ。

おしなべて、函館の銭湯は熱い!私の経験だが。。

実家の近くの中道町にあった銭湯も熱かったが、
湯の川の山内温泉も熱いと言う。

それだけで充分だろう、函館人はお熱いのがお好き?

何はともあれ、気持ちよかった☆
湯冷めしないうちに花園町の自由空間へと向かう。

ちょっとドキドキしながら受付けを済ませると、
寝られる部屋に案内してもらった。

狭っ!想像以上に狭い。

入り口にPCの机の端が出っ張り、入りづらい事この上ない。
しかし、寝転がってみると、何だか楽しくなって来た。

狭い部屋が左右に並んでいる、
近隣の住人の生活雑音が、まるで修学旅行の寝台車の雰囲気である。

何はともあれ、数年ぶりのビリヤードも楽しむ事にした。

 

部屋に戻ると、お約束のようにイビキが響いてくる。
そんな環境の中、脚を完全に伸ばせないスペースで眠りについた。

 

久しぶりに腰痛を感じながら目覚めた。

朝6時半に自由空間を出発!

七飯本町には玉子屋のおばちゃんが住んでいる。
会いたい気持ちもあるが、まだ早朝。

かと言って待つ精神的ゆとりもない。

『行きはヨイヨイ帰りはこわい』で、やはり早めに帰り着きたい。。
次回の楽しみに取っておこう。

城岱高原牧場へ続くスカイライン

城岱スカイラインはバイクにとって素晴らしいルート。

ワインディング、道路コンディション、
函館市や七飯町・木古内町・さらに北海道新幹線の
新函館北斗駅と線路が一望できる絶景。

国道5号線から七飯本町通りを上がって、
城岱牧場展望台を経由して大沼に抜けるルートだ。

早く帰りたい、と言いながらあまりの気持ち良さに
大沼を抜けるのに2時間もかかってしまった。

写真を撮ったり、
下りのワインディングを楽しむために逆戻りしたり。。

どれだけ素晴らしい景色かは、
私の拙い文章より写真のほうが雄弁であろう。

この日は天気のわりには、函館市内は霞がかかってよく見えなかった。
空気が澄んでいれば、本州も見えるはず。

帰りの太平洋も寒かった。

快晴だった五月の空は、大沼国定公園を抜け
森町に入った途端、山からの雲と冷気に包まれた。

 

第三の衝撃!!!

 

再び、有りったけの衣をまとい、ひたすら長万部を目指す。
長万部から内陸に入ればきっと暖かいに違いない。。

黒松内はブナの北限である。
道の駅。案の定、陽射したっぷりで風も無く心地いい。

評判のパン屋で、メロンパンに
チョコチップをまぶしたパンで昼食。

本当はここのカルボナーラを食べたかった。。

黒松内町で造っているベーコンは最高だ!
そのベーコンをたっぷり使ったカルボナーラは絶品!

しかし、ここで第三の衝撃が!

何てことだ!メニューからそれは消えていた。

 

時空を超えて、旅を終えて!

進級制作、卒業制作で函館を撮り続けた。

それは実家があるからという、
ただそれだけで選んだ被写体だったのかも知れない。。

しかし、それでも私にとって必然だったのだろう。

親父、お袋が元気のうちに年末は帰郷し続けようと思った、
でも親父の『もう帰るのか?』の言葉も聞き流し、
いつも正月は早く札幌に帰ってしまっていた。。

まさかの親父の死、お袋が心配で1年間週末ごとに帰った函館。

あまり意思の疎通が出来なくて、本心など話せなかった親父。

でも手術室に向かうストレッチャーの親父に
思わず『頑張って!』と声をかけた。力強い握手だった。

親父の穏やかな笑顔、
初めて気持ちが通じた気がした。

本心から言葉が出たように感じた。

親父の葬儀の日は函館には珍しく
30cm以上の大雪が、一晩で積もった。

お陰で弟はじめ親戚の飛行機は千歳に着陸で大騒ぎ。。
そんな函館に年々想いは募る。

札幌に連れて来たお袋も亡くなって早12年である。

親父は4月5日に生まれて3月6日に亡くなった。
お袋は5月3日に生まれて5月6日に亡くなった。
そして私は1月6日生まれだ。

来年はゆっくり函館までのツーリングを楽しむつもりである。

あの時の想いを写真に残すために、時空を超えて。。。。。

 

終わり

最新情報をチェックしよう!